25232200 楽書ブックス編集部編「さわりで癒される 天才! モーツアルトの名曲25選」について - 岡田 次昭
2024/04/16 (Tue) 08:24:22
令和6年4月14日(日)、私は、書架から楽書ブックス編集部編「さわりで癒される 天才! モーツアルトの名曲25選」を出してきました。
この書物は、2004年11月25日、株式会社樂書館から第一刷が発行されました。
111頁の中にモーツアルトの25曲の解説が収められています。
今回は、そのうち、「トルコ行進曲」に続いて、「クラリネット協奏曲」について纏めました。
私の所有しているCDは、次の通りです。
クラリネット協奏曲 イ長調 K622
クラリネット五重奏曲 イ長調K581
クラリネット エルンスト・オッテンザマー Ernst Ottensamer
演奏者 ウィーン・ヴィルトオーゼン Wiener Virtuosen
モーツアルトの曲の中で一番好きな曲は何かと問われますと、私は返事に戸惑います。
モーツアルトの曲はすべて名曲で親しみやすい故、一番を選ぶことは難しいからです。
敢えて選ぶとすれば、この「クラリネット協奏曲」k622、交響曲第40番 K550、ピアノ協奏曲第24番 K491です。
いずれも甲乙つけがたい永遠の名曲です。
記
クラリネット協奏曲イ長調 K622
――モーツアルト最晩年の作品、終焉を彩る名旋律――
※ 貧乏同士、仲がいい
1791年、それはモーツアルトの最後の年である。
フランス革命でルイ16世とマリー・アントワネットがオーストリアへ逃亡をたくらんだが失敗。
その知らせがモーツアルトの耳に入ったかどうかはわからないが、もし聞いていたら、小さい頃に彼女にプロポーズしたことなどの回想が彼に感慨をもたらしたかもしれない。
あの幸せな時期から一転、激しい動乱を伴いながら、ヨーロッパは「平等」へと着実に変わり始めていた。
モーツアルトの生活は相変わらず苦しかった。
妻のコンスタンツェの療養費、子供の養育費などのために借金を重ねた。
曲は作り続けるが、なかなか実にならない。
そんな中、9月に上演した「魔笛」は好評を博し、人気上昇の兆しとなった。
そのオペラ「魔笛」の後の10月にクラリネット協奏曲が書きあげられた。
これはまたクラリネット奏者アントン・シュタードラーのために作ったものだ。
しかもタダで!
自分の家計が火の車なのに何をしているのだ、と言いたいところだが、モーツアルトはアントン・シュタードラーの演奏にそれほど魅了されていたのである。
そしてモーツアルトから借金するアントン・シュタードラーも、彼の音楽を深く愛していた。
以前にもなぜそんなに完璧な曲が作れるのか、と聞いたほどである。
お互い尊敬しあって仲がよいのは構わないが、もう少し違うところに目を向ければ、現実も変わっていたのでは? と思ってしまうところだ。
※ 永遠に奏でられる音楽
第一~三楽章で構成されたこの曲で、今回のCDには第三楽章が収録されている。
聞いてみると非常に明るい。
「本当に大曲を仕上げた後の疲労困憊している時の曲だろうか?」
「彼は本当にこの二ヶ月後に死ぬのだろうか?」などという疑問が湧きだしてくる。
それはこの曲が純粋で無邪気で、余りにも美しいからだ。
こんな素晴らしい曲を作ったモーツアルトは、その後フリーメースンのために一曲書いたが、体調が優れない日が続いており、11月20日、ついに起きあがれなくなってしまった。
それでも「レクイエム K626」という大曲を、弟子に手伝ってもらいながら書き進めていた。
しかい、12月5日、夜中の零時55分、昏睡状態になり、遂にそのまま二度と目を開けなかったのである。
直後、周囲は悲しみで混乱し、コンスタンツェにいたっては痛いにしがみついて泣き、倒れてしまった。
彼女に葬式の手配などできるはずもなく、スヴィーテン男爵が代わりをつとめたが、お金があまりなかったため簡素なものしかできなかった。
そして6日、葬儀が行われモーツアルトの遺骸は共同墓地へ埋葬された。
彼が運ばれた聖マルクス墓地は市街地からとても離れた所にあった。
しかもこの日は悪天候だったといわれており、そのためか埋葬まで彼を見送る人は一人もいなかった。
よって、実は現在でも埋葬された場所は確実にはわかっていない。
モーツアルトの訃報が広がるにつれ、彼を惜しむ声が強くなっていった。
作曲家ヨーゼフ・ハイドンは、あのような天才はこの先出てこないだろう、とまで言い涙を流して悲しんだ。
後の14日にプラハで行われた追悼ミサは盛大で、音楽家が彼のために演奏し、死を惜しむ人が4,000人も集まったのである。
そして死ぬ直前まで気にかけていた「レクイエム」は、弟子によって完成されたのだった。
彼は、音楽を通じてこんなにも人から愛されていたのだ。
そして時代が移り代わり遠く離れた東の国でも愛されるようになった。
「聴いたことがある」という言葉は、彼の曲がいつ間にか世界中に浸透している証拠だろう。
この先、何世紀たとうとも人の中で彼は生き続けるのだ。
(了)
(ご参考)
1. モーツアルトの死因とケッヘル番号
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト( Wolfgang Amadeus Mozart )は、1756年1月27日に生まれ、 1791年12月5日に亡くなりました。
ウィーン市の公式記録では「急性粟粒疹熱」とされています。
実際の死因は「リューマチ性炎症熱」でした。
僅か35歳で、626の曲を遺したモーツアルトは真の天才でした。
このような人物はもう現れないでしょう。
モーツアルトの曲は、ルートヴィヒ・フォン・ケッヘルによって編集され、それはケッヘル目録( Köchelverzeichnis)と呼ばれています。
ケッヘルは時系列的に作品を並べようとしましたが、のちの研究によって作品の成立時期が見直されたり、作品が新しく発見されたりしました。
そのため、ケッヘル番号は何度か改訂され、最新のものは第8版となっています。
特にアルフレート・アインシュタインの第3版(1937年)と、フランツ・ギーグリング (Franz Giegling)、ゲルト・ジーベルス (Gerd Sievers)、アレクサンダー・ヴァインマン (Alexander Weinmann) による第6版(1964年)では大幅な訂正が行われました。
「モーツアルトの25曲の明細」
01. デイヴェルティメントK136
02. アレルヤ K165
03. セレナード第四番 K203
04. ヴァイオリン協奏曲第三番 K216
05. ヴァイオリン協奏曲第五番 K219
06. フルート協奏曲第2番K314
07. フルートとハープのための協奏曲 K299
08. ピアノ・ソナタ第八番 K310
09. ヴァイオリンとヴィオラのための協奏曲 K364
10. 幻想曲 K397
11. トルコ行進曲 K331
12. 弦楽四重奏曲「狩」 K458
13. ピアノ協奏曲第20番 K466
14. ピアノ協奏曲第21番 K467
15. ロンド ニ長調 K485
16. ピアノ協奏曲第23番 K488
17. 「フィガロの結婚」より序曲 K492
18. ロンド イ短調 K511
19.. アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク K525
20.. ピアノ・ソナタ第十五番 K545
21. 交響曲第四十番 K550
22. 交響曲第四十一番 K551
23. クラリネット五重奏曲 K581
24. 「魔笛」より序曲
25. クラリネット協奏曲 K622
私は、アレルヤ K165を除いて、すべてのCDを持っています。
ここには掲載されていないピアノ協奏曲第24番 K491を私はこよなく愛しています。
ピアノ協奏曲の中では最高傑作と自己判断しています。
聖マルクス墓地にある記念墓碑(像は、嘆きの天使)