令和6年4月14日(日)、私は、宮前図書館から池田清彦著「騙されない老後 権力に迎合しない不良老人のすすめ」を借りてきました。
この書物は、2021年1月1日、株式会社扶桑社から第一刷が発行されました。
213頁の中に沢山の随筆が収められています。
今回は、そのうち、『何歳から「老後」なのか?』について纏めました。
「老後」の言葉が頭に浮かびますと、それは心身共に「老人」なのです。
そうならないよう、私はよく歩き、パソコンを使って両手で文章を入力しています。
毎日これを実践しますと脳の活性化を図ることができますので、「老人」という言葉は頭に浮かんできません。
それに、12年前から、私は、ロート製薬の「極潤ヒアルロン酸液」を顔使っています。
お陰さまで、シワもシミもありません。
これも若返りのひとつです。
私は、サミュエル・ウルマン(1840年~1924年 ドイツ出身のアメリカの詩人)の詩「青春」をこよなく愛しています。
これを読みますと、若返ったような気持になります。
末尾にその素晴らしい詩を記載しておきます。
池田清彦さんの経歴は次の通りです。
1947年 東京都足立区に生まれる
1963年 足立区立第四中学校卒業
1966年 東京都立上野高等学校卒業
1971年 東京教育大学理学部生物学科動物学専攻卒業。
1977年 東京都立大学大学院理学研究科博士課程(生物学専攻)単位取得満期退学
1978年 東京都立大学から理学博士の学位を授与される
1979年 1981年 : 山梨大学教育学部講師
1981年 1990年 : 山梨大学教育学部助教授
1993年 1994年 : オーストラリア国立博物館客員研究員
1990年 2004年 : 山梨大学教育学部(1998年より教育人間科学部に改組)教授。
2004年 早稲田大学国際教養学部教授、山梨大学名誉教授
2015年 TAKAO 599 MUSEUM名誉館長。
2018年 早稲田大学名誉教授
彼は、日本の生物学者(構造主義生物学・理論生物学)、科学・社会・環境問題評論家です。
専門の生物学をはじめ、進化論、科学論、環境問題、脳科学などを幅広く論じています。
構造主義を生物学に当てはめた構造主義生物学の支持者のひとりとして知られています。
主な著書は、次の通りです。
『本当のことを言ってはいけない』KADOKAWA〈角川新書〉、2020年
『環境問題の噓 令和版』エムディエヌコーポレーション〈MdN新書〉、2020年
『騙されない老後 権力に迎合しない不良老人のすすめ』扶桑社〈扶桑社新書〉、2020年
『どうせ死ぬから言わせてもらおう』KADOKAWA〈角川新書〉、2021年
『平等バカ-原則平等に縛られる日本社会の異常を問う-』扶桑社〈扶桑社新書〉、2021年
記
『何歳から「老後」なのか?』
「老後」と聞いてイメージするのは、55歳で定年を迎えたあと、ひたすら毎日大好きな釣に出かけていた叔父のことだ。
当時まだ子どもだった僕に55歳を過ぎた叔父は立派な「叔父さん」で、55歳まで頑張って仕事をすれば、「老後」は好きなことをして生きていけるのだなと思っていた。
しかし、1994年の法改正(高年齢者の雇用の安定に関する法律)で、1998年からは60歳未満定年制が禁止された。
その後、2012年には改正高年齢者雇用安定法が成立し、定年を迎えても本人が希望すれば、65歳まで継続雇用することが企業に義務付けられた(施行は2013年4月) 。
公的年金の支給開始も段階的に引き揚げられ、昭和36(1961)年4月2日生まれの男性、昭和41(1966)年4月2日以降生まれの女性は全額65歳からの支給となることが既に決まっている。
これらの状況に鑑みると、65歳以降辺りを「老後」と呼ぶのが昨今の社会的な感覚なのかもしれない。
一方で、個人的な感覚としての「老後」、つまり自分を「老人である」と自覚する年齢は人それぞれのようだ。
60歳になった瞬間から「ああ、いよいよ自分は老人になったのだな」と考える人もいれば、80歳になっても老人と呼ばれるのを嫌がる人もいる。
ただ、ある年齢に達した時に、その時の自分がどのように感じるかは、実際にその年齢になってみないとわからない。
今から20年ほど前、友人で解剖学者の養老孟司を誘い、当時、勤めていた山梨大学の教え子たち数人と一緒にベトナムの田舎に虫採りにいった。
その時、宿の裏手の畑でせっせと虫を探すベトナム初心者の養老さんの姿を見て、既に何度もベトナムを訪れてその畑にはたいした虫がいないことを知っている私たちは、「裏の畑の養老さんは、今年60のおじいさん。年は取っても虫採る時は、元気いっぱい綱を張る」なんて歌いながら笑っていた。
当時50歳そこそこだった私からすれば、60歳の養老さんは立派な「おじいさん」だったので、若い人たちと一緒になって笑っていたのだが、いざ自分が60歳になった時には「なんだこんなもんか」と拍子抜けした。
自分が想像していた60歳のイメージとは大きく異なり、心身共に衰えたという感覚はなかったからだ。
もちろん若いころと同じではないものの、「若くはない」ことと「 老人」は、イコールではない。
僕も「もう若くはないのだな」と葉薄々感じていたけれど、だからといって「老人」に足を踏み入れたいという実感は全くなかった。もしも20年前の養老さんのように年寄り扱いされるようなことがあれば、かなり心外な気分になったに違いない。
そう考えると、あのとき養老さんには悪いことをしたな、と思う。
その後、65歳を越えても年を取ったという感覚はあまりなく、「なんだ、年を取るったってたいしたことねえな」と思っていた。
ところが、70歳で早稲田大学を退官して暫くたった頃から、「若くはない」ではなく、「ああ、年を取ったなあ」というふうに感じることが増えてきた。
虫を捕まえようにも追いつけず、逃げられてしまうことが増えたのだ。
山に登る時も長い階段を見るとうんざりするようになった。
登山口で杖が貸し出されているのが目に止まり、一緒に行ったカミさんからの「途中で絶対邪魔になるから」と言う忠告を聞かずについ手を出してしまったこともある(結局、やはり邪魔になり、カミさんの言うことを聴いておけばよかったと後で後悔したのだが)。
さらに73歳になった今年はコロナ禍で外出もままならなくなり、ぐーたら過ごしていることでさらに体が衰えとしまったような気がしている。
もちろん、それでも80になった時に振り返れば(生きて入ればの話だが)、「あの頃はまだまだ若かったなあ」と思うのだろうが、いずれにしろ僕は既に「老後」を生きているのだと認めるほかない。
(了)
(ご参考)
青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる
歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ
苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、
精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か
曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる
事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く
求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大そして
偉力と霊感を受ける限り、人の若さは失われない
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ
人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる
英文
【YOUTH Samuel Ullman 】
“Youth is not a time of life-it is a state of mind;
it is a temper of the will,
a quality of imagination,
a vigor of the emotions,
a predominance of courage over timidity,
of the appetite for adventure over love ease.
No body grows only by merely living a number of years;
peoples grow old only by deserting their ideals.
Years wrinkle the skin,
but to give up enthusiasm wrinkles the soul.
Worry, doubt ,self-distrust,
fear and despair-these are the long ,
long years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.
Whether seventy or sixteen,
there is in every being’s heart the love of wonder,
the sweet amazement at the stars and the starlike things and thoughts,
the undoubted challenge of events,
the unfailling childlike appetite for what next,
and the joy and the game of life.
you are yang as your faith,
as old as doubt ;
as young as your self-confidence,
as old as your fear;
as young as your hope,
as old as your despair.
So long as your heart receives messages of beauty,
cheer,
courage,
grandeur and power from the earth,
from man and from the Infinite so long as your young.
When the wires are all down and all the central place of your heart is covered with the snows of pessimism and the ice of cynicism,
then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul.”