令和7年2月8日(土)、私は、宮前図書館からピーター・J・マクミラン著「英語で味わう万葉集」を借りてきました。
この書物は、2019年12月20日、株式会社文藝春秋から第一刷が271頁の中に沢山の万葉集の短歌と解説文が収められています。
ピーター・J・マックミランさんは流暢な日本語を駆使しています。
普通の日本人よりも豊富な日本語を知っています。
私は、彼の著「松尾芭蕉を旅する―英語で読む名句の世界―」を愛読書の一つにしています。
俳句と短歌は、日本独特の文化です。
日本語に堪能な彼でも、微妙な言葉の綾(アヤ)を英語で外国人に紹介することは困難と思います。
ピーター・J・マックミランさんは、1959年2月6日、アイルランドにて生まれました。
彼は、アイルランド国立大学と南カロライナ州大学を卒業しています。
杏林大学外国語学部・国際協力研究科客員教授を歴任しました。
現在は、東京大学非常勤講師を務めています。
専門は詩・翻訳・現代美術で、日本在住歴は20年以上に渡っています。
『英詩訳・百人一首―香り立つやまとごころ』で、2008年度日本翻訳文化特別賞、それに日米友好基金日本文学翻訳賞を受賞しています。
主な著書は、次の通りです。
『英詩訳百人一首 香りたつやまとごころ』(集英社新書、2009年)
『英語で読みとく百人一首大図鑑』(英訳・監修、ほるぷ出版、2015年)
『A Little Flower(いちりんのはな)』平山美知子・絵、平山弥生・文(英訳、講談社、2015 年)
『The Tales of Ise(伊勢物語)』(英訳、Penguin Classics、2016年)
ピーター・J・マクミランさんは、「はじめに」のところで次のように書いています。
「私が『万葉集』の英訳に着手したのは令和元年の八月十五日のことだった。
この日は日本では第二次世界大戦の終戦の日とされている。そして、最初の草稿が完成したのは今上天皇の即位礼の日だった。
この仕事に取り組んでいる間、私は常に、第二次世界大戦と新しい令和の時代について思いを巡らせていた。
今年の八月はとても暑かったので、お盆休みには山中湖に滞在していたのだが、ちょうど台風による暴風雨に見舞われてしまった。
ようやく雨が止み、これでもう大丈夫と思ったのも束の間、再び嵐が起こり、激しい雨が窓に打ち付けてきた。
ほとんど外出することもできなかったのだが、雨続きだったおかげで涼しくて過ごしやすく、集中して仕事に取り組むことができた。
夜、近くの温泉に行くと、そこは夏合宿で山中湖を訪れた大学生たちであふれていた。
彼らはふざけてじゃれ合い、楽しそうに笑い、おしゃべりに興じていた。
彼らと言葉をかわしながら、私は日本という国について、そして終戦記念日と『万葉集』の関係について、考え始めていた。
彼ら若い日本人たちにとって、また新しい時代の日本にとって、『万葉集』はどのような意味を持つのだろうか、と。
その翌朝から、私は本格的に『万葉集』の英訳に取り組みはじめた。
そのときまで私は『万葉集』の原文をきちんと読み込んだことはなかったので、とても新鮮な感覚があった。
最初の印象はとりとめもないものだった。
平安時代の和歌には「私」に相当する言葉はあまり出てこないのだが、
『万葉集』では「私」や「あなた」を意味する単語が数多く使われているため、万葉の歌は直接的で、率直で、庶民的な印象を与える。
しかし、その印象は必ずしも正確ではないということがわかった。
漢字を使った言葉遊びも『万葉集』の魅力のひとつだ。
この時代、都は京都ではなく、朝廷は遷都を繰り返していた。
人の名前も平安時代とは大きく異なる。
とても長々しく、神話に登場する神々の名前のような響きだが、実在の人物の名前である。『万葉集』は実際に生きた人々の記録なのだ。
人間と自然の距離は平安時代よりも近い。
シャーマニズムの要素には驚かされ、感銘を受けた。
悪天候は当時の人々にとって大きな脅威であり、旅に出ることは生命の危険を意味した。社会構造は流動的で、殺人や戦争は珍しいことではなかった。
翻訳者泣かせの枕詞も多用されている。
人間の世界と神の世界の距離はとても近く、自然に美を見出す感性や、自然と人間が一体のものであるという感覚も非常に強い。
「令和」という元号が日本の古典の詩歌から取られたことに、私は大きな喜びを感じた。
日本の古典文学の翻訳の仕事を続けていくうえで、大きなエネルギーをもらえたように思えたのだ。
「令和」の由来となった『万葉集』は、新しい時代を象徴する歌集となった。日本最古の文学作品のひとつだが、
これから私たちが進んでいく未来についても多くの示唆を与えてくれる。また、この本は私の還暦の記念の本でもある。
かつて日本では、年を重ねた人は「翁」と呼ばれ、言祝ぐこと、すなわち祝福を与えることがその役割だとされていた。
この本が、私から日本の人々に贈るささやかなお祝いとなれば、とても嬉しい。『万葉集』の世界は美しい。その歌は、新鮮な世界観に満ち溢れている。
だから、この本は令和の最初の年に出したかった。
すると締め切りまでおよそ二カ月となる。この二カ月という時間はあっという間に過ぎ去っていった。
非常にタイトなスケジュールだったので、この間一日も休みをとることはできなかった。
ようやく脱稿したその翌日、ある友人が杉並区にある大宮八幡宮に誘ってくれた。大宮八幡宮は木々に囲まれた美しい神社だ。
私はしばらくの間、満足に戸外の空気を楽しむこともできなかったので、鎮守の森の散策は私の心に大きな喜びをもたらしてくれた。
歩きながら、私はこんなことを考えていた──自分の翻訳も、こんな光でいっぱいに満たしたいものだ、と。
太陽の光に照らされた木々。
木の葉がたてるさらさらという音。やわらかく湿った黒い土。
美しい秋の日差し。遊びまわる子どもたちの声。ペットの亀を散歩させている老婦人のやさしさ。
川の水の流れ。美しい秋の日。
このような光景、音、そして自然の美しさは、万葉の時代から何も変わってはいない。
今日、自然環境の破壊は深刻だが、それでも万葉の歌に描かれた、自然や人のすがたに私たちは共感することができる。
ちょうどこの本の「結びにかえて」を書き終えようとしている頃、私はあるイベントで南半球のさる国の駐日大使と出会った。
私が自分の翻訳の仕事について説明すると、彼は「日本の文学は面白いですか?」と尋ねてきた。
私がイエスと答えると、彼はこんなことを言った。
「そうですか。でも、世界的にはあまり知られていませんね。もし日本の文学が素晴らしいものであるなら、なぜもっと注目を集めていないのでしょうか?」と。
『万葉集』の世界的な知名度が低いのは、優れた訳詩がこれまで少なかったからだろうと私は考えている。
私は、この翻訳が『万葉集』に対するいくつかの誤解を払拭し、最新の研究に基づく新たな『万葉集』のイメージを提示する第一歩となることを望んでいる。
そして『万葉集』が、日本の文学史における宝物というだけでなく、世界的にも重要な文学作品として認知されるようになることを願っている。」
記
1. 春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天(アメ)の香具山
( 持統天皇)
「現代語訳」
春が過ぎて夏がやって来たらしい。真っ白な衣が干してある。天の香具山に。
Spring has passed, and summer's white robes air on the fragrant slopes of
Mount Kagu ――beloved of the gods.
2. 東(ヒムガシ)の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ
(柿本人麻呂)
「現代語訳」
東の野に曙の光が差しそめるのが見えて、振り返ってみると残月が西の空に傾いている。
When I look east ――the light of daybreak spilling out over the plain.
When I look back ―― the moon crossing to the weat.
3. 田子ノ浦ゆ うち出でて見れば ま白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける
(山部赤人)
「現代語訳」
田子ノ浦を通って出て見ると、真っ白に、富士の高嶺に雪が降り積もっている。
Coming out on the Bay of Tago, there befofe me, Mount Fuji―― snow
piled ip on the peak, a splendid cloak of white.
4. あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり
(小野老)
「現代語訳」
あおによし 奈良の都は咲く花が匂い映えるように、今真っ盛りである。
Like the blossoms blooming beautifully the capital of Nara is a flower in
full bloom.
5. 世間(ヨノナカ)は 空しきものと 知る時し いよいよますます 悲しかりけり
(大伴旅人)
「現代語訳」
この世の中は空しいものだと思い知った今この時、いよいよまして悲しく思われることだ。
The moment I am struck by the emptiness of this world of ours, I feeel acutely the weight of my sorrow.
6. 銀(シロガネ)も金(クガネ)も なにせむに 優れる宝 子に及かめやも
(山上憶良)
「現代語訳」
銀も金も珠玉も、どうして何より優れた宝である子に及ぶことがあろうか。
Fabulous treasures ――Silver, gold, pearls―― Why can't you compare with the
tresure that is a child?
「現代語訳」
7. よき人の よしとよく見て よしと言ひし 吉野よく見よ よく人よ見
(天武天皇)
「現代語訳」
昔の良き人が良いところだとよく見てよいと言った、この吉野をよく見よ、今のよき人よ、よく見るのだ。
The good men of the good old days looked upon Yoshino well.
Yoshino is good , they said. Let's look on Yoshino well――
Good men of these good days.
(了)