令和7年1月11日(土) 、私は中原図書館から茨木のり子詩集「鎮魂歌」を借りてきました。
この詩集は、2001年11月16日、株式会社童話屋から第一刷が発行されましたる
123ページの中に14の詩が収められています。
税抜価格は、2,000円です。1頁当たり、16円もします。
一般的にいって、詩集の書物は割高になっています。
茨木のり子さんは、大正15(1926)年6月12日、大阪市にて生まれ、愛知県西尾市で育ちました。
彼女は、愛知県立西尾高等女学校を卒業後上京し、帝国女子医学・薬学・理学専門学校薬学部に進学しました。
上京後は、戦時下の動乱に巻き込まれ、空襲・飢餓などに苦しみましたが、何とか生き抜き19歳の時に終戦をみました。
1999年に刊行された詩集『倚りかからず』が10月16日の朝日新聞「天声人語」で取り上げられたことで話題になり、詩集としては異例の15万部の売り上げを記録しました。
2006年2月17日、彼女は、病気のため東京都西東京市東伏見の自宅で死去しました。
享年79歳でした。
主な詩集は次の通りです。
『個人のたたかい』(童話屋、1999年)
『倚りかからず』(筑摩書房、1999年)
『貘さんがゆく』(童話屋、1999年)
『対話-茨木のり子詩集』(童話屋、2001年)
『茨木のり子集言の葉 1〜3』(筑摩書房、2002年)
『落ちこぼれ』(理論社、2004年)
『歳月』(花神社、2007年)
『智恵子と生きた 高村光太郎の生涯』(童話屋、2007年)
『君死にたもうことなかれ 与謝野晶子の真実の母性』(童話屋、2007年)
茨木のり子詩集「鎮魂歌」(一部 原文のまま)
1. 汲む
大人になるというのは
すれっからしになることだと
思いこんでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました
初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました
私はどきんとした
そして深く悟りました。
大人になってもどぎまぎしたっていいんだ
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外に向かってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです
2. 海を近くに
海がとても遠いとき
それはわたしの危険信号です
私に力の溢れるとき
海はわたしのまわりに 蒼い
おお海よ! いつも近くにいて下さい
シャルル・トレネの唄のリズムで
七ツの海なんか ひとまたぎ
それほど海はちかかった 青春の戸口では
今は魚屋の店さきで
海を料理することに 心を砕く
まだ若く カヌーのような青春たちは
ほんとうに海をまたいでしまう
海よ! 近くにいて下さい
彼等の青春の戸口では なおのこと
3. 私のカメラ
眼
それは レンズ
まばたき
それはわたしの シャッター
髪でかこまれた
小さな 小さな 暗室もあって
だから わたし
カメラなんかぶらさげない
ごぞんじ? わたしのなかに
あなたのフィルムが沢山しまってあるのを
木漏れ陽のしたで笑うあなた
波を切る栗色の眩しいからだ
煙草に火をつける 子供のように眠る
蘭の花のように匂う 森ではライオンになったっけ
世界にたつたひとつ だあれも知らない
わたしのフィルム・ライブラリイ
4. あるとしの六月に
ひとびとも育つ
アカシヤや泰山木のように
あるとき 急速に
1960年の雨期
朝の朝食で 巷で 工場で 酒場の隅で
やりとりされた言葉たちの
なんと 跳ねて 躍ったことか
魚籠より溢れた声たちは
町々を埋めていった
おしあい へしあい
産卵期の鮭のように
海に眠る者からの使いのように
グァム島から二人の兵士が帰ってきた
素晴らしい批判を真珠のように吐きちらし
人々も確かに育つ
ひそやかでたしかに育つ
ひそやかで隠微なひとつの方則
それを見た あるとしの六月に
(了)