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立川昭二著「人生の不思議」について

1:岡田 次昭 :

2024/04/28 (Sun) 08:30:45

令和6年4月14日(日)、私は、宮前図書館から立川昭二著「人生の不思議」を借りてきました。
この書物は、2009年9月20日、株式会社新潮社から第一刷が発行されました。
217頁の中に、沢山の随筆が収められています。
今回は、そのうち、「悲しみのモーツアルト」について纏めました。
立川昭二(タツカワ ショウジ) は、1927年2月24日、東京府にて生まれました。
彼は、早稲田大学文学部史学科を卒業しています。
1966年に北里大学教授に就任しています。そして、1980年『死の風景』でサントリー学芸賞を受賞しています。
当初は鉱業史などの研究をしていました。しかし、1970年代以降、病気や死についての文化史的考察が専門となり、以後数多くの著作を刊行しています。
平成29(2017)年8月5日、彼は老衰で亡くなりました。
享年91歳でした。

主な作品は、次の通りです。

『江戸老いの文化』筑摩書房 1996
『こころの「日本」』文藝春秋 1997
『生老病死 いのちの歌』新潮社 1998
『日本人の死生観』筑摩書房 1998 ちくま学芸文庫 2018
『生きて死ぬことのヒント』小学館文庫 1999
『病いの人間学』筑摩書房 1999
『からだことば』早川書房 2000 のち文庫
『いのちの文化史』新潮選書 2000
『養生訓の世界 人生の達人・貝原益軒』日本放送出版協会(NHK人間講座) 2001
『養生訓に学ぶ』PHP新書 2001
『生と死の美術館』岩波書店 2003
『すらすら読める養生訓』講談社 2005 講談社
『文化としての生と死』日本評論社 2006
『年をとって、初めてわかること』新潮選書 2008
『人生の不思議』新潮社 2009
『「気」の日本人』綜合社 2010
『愛と魂の美術館』岩波書店 2012
『生死のあわい』光原社 2016

立川昭二さんは、『「モーツアルト音楽療法」などという流行も、いずれ消えて行くことであろう。
これは、モーツアルトを辱めることである。」と書いています。
同感です。
これらのCDは、作品の一部の楽章を編集したものです。
これではモーツアルトの神髄を知ることはできません。
私は、「モーツアルト音楽療法」のようなCDを1枚も所有していません。



「悲しみのモーツアルト」(全文)

2006年1月27日は、作曲家モーツアルト生誕250周年にあたる。
モーツアルトといえば、日本にはなぜか「モーツアルト」という名前の喫茶店が多い。というより、喫茶店などの名前になる音楽家はモーツアルトぐらいしかない。
モーツアルトという語感が日本人の耳に合うのかもしれない。
ところで近頃、「モーツアルト音楽療法」というのが話題になっている。
免疫音楽医療という新分野において最近とくに注目されるようになった。
今日の日本人は様々なストレスに晒され、生体機能とくに副交感神経の働きが鈍り、免疫力も落ち、高血圧や糖尿病などの生活習慣病を引き起こしている。
専門家にいわせると、モーツアルトの音楽はこの副交感神経を刺激する高周波と揺らぎが豊富にあるので、それを聴くと、リラックスし免疫物資も多く出るというのである。
マスコミで宣伝されたせいか、CDショップには高血圧・糖尿病・ガン・アトピーなど病気別にモーツアルトの楽曲が「処方」されたCDがずらりと並んでいる。
モーツアルトを「聴く」だけでなく、病気に「効く」 ことを追い求める現代日本人の異常ともいえる健康願望を、モーツアルト自身はもとより、「死とは、モーツアルトを聴けなくなることだ」と言ったアルフレート・アインシュタイン(物理学者のアインシユタインの親族)たちは、はたしてなんと言うであろうか……。
モーツアルトと病気といえば、作家・吉行淳之介の『目玉』(新潮文庫)という作品に、彼が白内障の手術をしたときのこんな描写がある。
『手術室には、カセット・テープの音楽が流れていて、精神安定剤の役目をしている。(中略)このところ繰り返し聞いているモーツアルトのホルン協奏曲で、その偶然に驚いた。黒い視界で揺れ震え、拡大し収縮している光の動きに、その曲はそのまま合ってしまっている』
多病だった吉行は、「病気の効用は、それをすることによって、精神に「ひだひだ」が生まれてくるところにある」と語っている。(『ぼくふう人生ノート』集英社文庫)。
『精神のひだひだ』とはいかにも吉行らしい表現であるが、ここには病気と明るく軽やかに、つまり「健康的に」つき合ってきた彼一流のダンディズムである。
モーツアルトの音楽は明るく軽やかといわれるが、その音楽の本質は「悲しさtrestesse」であると言ったのはスタンダールだった。
アンリ・ゲオンは弦楽五重奏曲ト短調 K516の冒頭のアレグロを「駈け巡る悲しさ(trestesse allante)、言い換えれば「爽快な悲しさ(allegre tristesse)と言ったが(高橋英郎訳『モーツアルトとの散歩』白水社) 、評論家・小林秀雄は「かなしさは疾走する 」と言い換え、「涙は追いつけない。涙の裡に(ウチニ) 玩弄するには美しすぎる。空の青さや海の匂いのように、万葉の家人が、その使用法をよく知っていた『かなし』とう言葉のようにかなしい」と語っている。(『モーツアルト・無常という事』新潮文庫)
フランスの作家ロマン・ローランは、『ありし日の音楽家』(吉田秀和・高橋英郎編『モーツアルト頌』白水社)で次のように語っている。
『モーツアルトにおいて第一に打たれるのは、彼の精神科の驚嘆すべき健康さである。病弱な彼の身体を想うとき、いっそう驚くべきことである。……それは、あらゆる能力のうちでほとんど唯一の均衡であり、すべてを感じ、すべてを支配することのできる魂である。』
この「健康さ」は生の「哀しさ」と表裏をなしている。モーツアルトに治療や健康だけを求めることは、たとえ免疫力が高まるとしても、そのためだけにモーツアルトを利用することは、モーツアルトを辱めることであり、それはまた自分自身を辱めることでもある。いうまでもなく、音楽はあくまでも音楽として聴き、音楽として愛すべきものである。「モーツアルト音楽療法」などという流行も、いずれ消えて行くことであろう。
31歳のモーツアルトは父宛の最後の手紙で、「死は人生の真の最終目標ですが、数年この方、ぼくはこの真実の最上の友にすっかり馴れてしまったので、もはや死の面影はいささかも恐ろしくないばかりか、大いに心を鎮め、慰めてくれます!(中略) ぼくは(まだこんなに若いのに)恐らく明日はこの世にいまいと考えずに床についたことはありません」(『モーツアルトとの散歩』) と書き送っている。
この手紙を受け取った父親は1ヵ月後に亡くなる。
その時期に作曲されたのが、アンリ・ゲオンが「駈け巡る哀しさ」と言った弦楽五重奏曲ト短調K516である。
最期近くに書かれた交響曲第40番 ト短調 K550と同じモーツアルトにとって運命的なト短調で作られている。アンリ・ゲオンはいみじくもこの曲を「死の五重奏曲」と名づけている。
この弦楽五重奏曲ト短調K516を聞くたびに思い出すのは、画家ゴッホの最期の言葉である。彼がピストルを胸に当て引き金を引いた2日後、息を引き取る前に弟子テオに漏らした言葉である。それは「Ra trestesse durera toujors(悲しみはいつまでもつづく)という言葉であった。モーツアルトの音楽にもゴッホの絵画にも、その底に共通して流れているのは涯のない宇宙的な「悲しみ」である。
宇宙的な悲しみと死の匂いのするモーツアルトの音楽は、病気に効くなどという卑しい下心で聴くものではない。モーツアルトの音楽は天上の音楽といわれる。天井には涙はない。モーツアルトの音楽は、涙を振り切って病そして死と「爽快な悲しみ」で向き合う覚悟を促しているのである。
医師で家人の上田三四二は、癌研病院入院中に次のように歌っている。モーツアルトの悲しみが体を透き通らせ、病を溶かしてくれたのである。……。

モーツアルト 聴きてねむれば 身は透きて 病も溶けて ゆくかとおもふ
(了)


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