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株式会社レッカ社編著『「戦国武将」がよくわかる本 井伊直政」』について

1:岡田 次昭 :

2024/04/27 (Sat) 07:36:21

令和6年4月25日(木) 、私は書架から株式会社レッカ社編著『「戦国武将」がよくわかる本」』を出してきました。
この書物は、2008年8月18日、株式会社レッカ社から第一刷が発行されました。
317ベージの中に私の好きな戦国武将が登場します。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の他に、前田慶次、鍋島直茂、本多忠勝、島津義弘、加藤清正、加藤嘉明、吉川元春、後藤又兵衛、服部半蔵、山中鹿之助、大谷吉継、石田三成、島左近、蒲生氏郷、井伊直政、榊原康政、荒木村重など戦国時代の武将のことを読みますと、往時のことが偲ばれます。
今回は、そのうち、「井伊直政」について纏めました。
井伊直政は、徳川家康の四天王の一人でした。
徳川家康の四天王とは、酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政を指します。
この書物は、戦国時代の武将について、よく調べて書かれています。
これ一冊あれば、ほとんどの武将の略歴を知ることができます。



「井伊直政(1561 ~1602)」(全文)

徳川家康に仕え、戦国最強の一人に数えられる井伊直政であるが、その人生のはじまりは波瀾に満ちたものであった。井池は代々、遠江(現在の静岡県西部)の国人領主を務めており、今川氏に仕えていた。しかし、直政の祖父が今川義元と共に「桶狭間の戦い」で散ると、直政の父は謀叛の嫌疑をかけられて処刑された。幼い直政も今川氏から命を狙われる身となった。
この境遇にあった直政を拾ったのが、隣国三河(現在の愛知県東部):の大名であり、後に直政が終生をかけて仕えるになる徳川家康である。直政は、家康の小姓として仕えつつ、武田氏との抗争で戦果をあげていく。22歳にしてようやく元服すると旗本に昇進。武勲のみならず政治手腕も発揮するようになり、家康からの信頼は日に日に増していくのであった。
その後、武田氏が滅亡すると、なお直政は武田旧家臣を束ねる任を受け、猛将で知られた山縣昌景の「赤備え」を継承。
自身の才能と鍛え上げられた部下とで、戦国屈指の精鋭部隊として、「井伊の赤備え」は一躍天下に知られるところとなったのである。
「小田原征伐」でも「関ヶ原の戦い」でも、戦場では常に赤い部隊が先陣を切って躍動した。
何しろ、直政は陣で大人しく指揮するタイプではなく、過激な性格そのままに自ら前線で戦うことを好んだ。
おかげで重武装でありながら生傷が絶えなかったが、こうした戦い方で功をあげたからこそ異例のスピードで出世を果たしたのである。
もっともその代償であったか、戦場での傷が原因で病にかかり、42歳の若さで死亡。
まさに身を削って家康の天下取りに尽くした男である。
(了)

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