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黒井千次著「老いの味わい」について

1:岡田 次昭 :

2024/04/26 (Fri) 08:39:19

令和6年4月14日(日)、私は宮前図書館から黒井千次著「老いの味わい」を借りてきました。
この書物は、2014年10月25日、中央公論新社から第一刷が発行されました。
237頁の中に参考になる随筆が収められています。この書物は、讀賣新聞夕刊連載「時のかくれん坊」を書籍化したものです。
今回は、その内、「老いとは生命のこと」について纏めました。

黒井千次さんは、昭和7(1932)年5月28日、東京の高円寺にて生まれました。
彼は、都立西高校から1955年東京大学経済学部を卒業後、富士重工業へ入社しました。サラリーマン生活のかたわら、創作を行いました。
新日本文学会に入り、1958年に『青い工場』を発表し、当時の労働者作家の有望株として、八幡の佐木隆三、長崎の中里喜昭たちとともに注目されました。
また、『文学界』に『メカニズムNo.1』を執筆しました。
労働現場の矛盾を心理的な側面から描く手法で注目されました。
1968年に『聖産業週間』で芥川賞候補となりました。
1970年に『時間』で芸術選奨新人賞を受賞しました。
同年に富士重工を退社し、作家活動に専念しました。
その後、1984年に『群棲』で谷崎潤一郎賞、1995年に『カーテンコール』で読売文学賞(小説部門)、2000年日本芸術院会員、2001年に『羽根と翼』で毎日芸術賞、2006年に『一日 夢の柵』で野間文芸賞をそれぞれ受賞しました。
彼は、1987年から2012年まで芥川賞の選考委員を務めました。現在、毎日芸術賞、伊藤整文学賞選考委員、文化放送番組審議会委員長を務めています。
現在、満92歳です。

主な作品は次の通りです。

『横断歩道』潮出版社 2002
『日の砦』講談社 2004
『石の話 自選短篇集』講談社文芸文庫 2004
『一日 夢の柵』講談社 2006
『老いるということ』日本放送出版協会 2006
『高く手を振る日』新潮社
『時代の果実』河出書房新社 2010
『散歩の一歩』講談社 2011
『老いのかたち』中公新書 2010
『老いのつぶやき』河出書房新社 2012
『生きるということ』河出書房新社 2013
『漂う 古い土地 新しい場所』毎日新聞社 2013
『老いの味わい』中公新書 2014
『老いへの歩み』河出書房新社 2015
『流砂』講談社 2018
『老いのゆくえ』中公新書 2019

災害が発生しますと、高齢者が真っ先に不幸に遭います。東日本大震災においても、多くの高齢者が亡くなりました。残された時間を有効に使うことも出来ず、残念だったことと推察します。ご冥福をお祈りします。
黒井千次さんは、末尾に「老いとは生命のことなのだ。」と書いています。
全く同感です。



「老いとは生命のこと」(全文)

玄関で靴を履こうとして屈み込み、ぐらりと足許が揺れるのを感じた時は、まさかこんな大事になろうと予想もしなかった。
地震は大きかった。震度が二とか三とかいうレベルを超えるものであり、いつになく横揺れが長く続くことに驚き、怯えた。しかしこれまでの経験から、しばらく堪えていればやがて揺れは収まるものだ、と自分に言い聞かせた。そして事実、少し時が経つと横の振動は静まり、道に出て歩けるようになった。電線はまだ大きく波打っていたけれども、どこかで切断された様子はなく、家から外に出て周囲を見回していた人々もまた屋内に戻っていくようだった。
大きな地震となれば津波や火事の起こることは多いかもしれないが、深夜でも明け方でもない昼間なのだから、もし何かあっても適当な対処が出来るだろう、と考えた。つまり心身の動揺は時の経つに従って平静に復し、元の日常が戻ってくるに違いない、と予想した。それがとんでもなく甘い見通しであることを教えられたのが、3月11日(2011年)の東日本大震災だった。
直接はまだニュースがないために、強い地震があった、ということのほかは何も分からなかった。余震があるかもしれないから気をつけよ、という家人の言葉を聞き流し、予定通りに日課の午後の散歩にも出かけた。
その後、東北方面の地震の規模や被害、ついで大津波の襲来をテレビで知るにつれ、とんでもないことが起こってしまっているのに動転した。更に加えて、東京電力の福島第一原子力発電所の被害が報じられると、天災と人間の営みの上の事故とが重なりあったことによって受ける傷の大きさと深さに圧倒されるしかなかった。時が経てば日常に戻る、などといった認識を超える事態に向き合わされていることを痛感した。
テレビ画面などいつ見ても感じるにだが、学校の講堂や公共施設のホールのような広い場所の床に直接身体を触れるに近い状態で避難の時を耐えている人々の姿は痛ましい。自分にそんな苦境を乗り越えることが出来るだろうか、と考えると全く自信がない。
地震の発生から十日ほど経った日の夜中、眠れぬままにラジオを聞いているとニュースが流れた。震災に関わる報道にのなかに、被災地の介護老人保健施設などで入所者の避難が必要となり、施設ごと移動を余儀なくされたのだが、その途中のバスの中で95歳と80歳の女性2人が心肺停止状態となって死亡した、との知らせがあった。劣悪な条件下での緊急の移動であり、やむを得ぬことが重なったのかも知れないが、この報道には暗い衝撃を受けた。翌日の新聞には、同じような施設間の移動で体力消耗のためか15人の高齢者が亡くなった、と報ずる記事もあった。こんな風にしても年寄りは亡くなるのか、とあらためて感じた。
今回のような不意の大災害の場合、老若男女を通じて様々の命が失われた。その中に年寄りが含まれること自体は避けようがない。そこでふと気づいたのは、これまで人間の老いについて考える場合、災害のような不慮の死は視野に入っていなかったのではないか、との発見と反省であった。
老いについて様々に思いを巡らす際、それは自然に進行する微視的な動きの老いと、その結果やがては行き着くであろう終着点としての死を巡る考察が中心であった。しかし、今回のような大規模な災害を前にすると、ただ順路の如き自然の道筋としての老いだけを考えていたのでは足りないのではないか、との苛立ちに似た気分が湧いてくる。
残された歳月という視点から考えれば、子供の生命と老人の生命とは異なる。前者には未来が含まれ、後者にはそれが乏しい。しかし、人が生きているということ自体は同じである。残された大切な命をせっかく一度は救われながら避難中に失うのは何とも無念である。失われた数知れぬ命のことを思いながら、いささか混乱した頭で、老いとは生命のことなのだ、と改めて考える。
(了)



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