FC2BBS 70346


川上弘美選「精選女性随筆集 幸田文」について

1:岡田 次昭 :

2024/04/25 (Thu) 08:01:38

令和6年4月14日(日)、私は、宮前図書館から川上弘美選「精選女性随筆集 幸田文」を借りてきました。
この書物は2012年2月10日、株式会社文藝春秋から第一刷が発行されました。
253頁の中に沢山の素晴らしい随筆が収められています。
今回は、そのうち、「いのち」について纏めました。

幸田文さんは、明治37(1904)年9月1日、作家の幸田露伴、母幾美(キミ)の次女として東京府南葛飾郡寺島村(現在の東京都墨田区東向島)にて生まれました。
1928年、24歳で清酒問屋三橋家の三男幾之助と結婚し翌年娘の玉(青木玉)が生まれました。しかし、結婚から8年後、家業が傾き廃業となりました。1936年、築地で会員制小売り酒屋を営みましたが、1938年に離婚しました。彼女は若い娘の玉を連れ父のもとに戻りました。
1955年より連載した長編小説『流れる』で1956年に第3回新潮社文学賞受賞、1957年に昭和31年度日本芸術院賞を受賞しています。また、『黒い裾』で1956年に第7回読売文学賞受賞、『闘』で第12回女流文学賞を受賞しました。
1988年5月に脳溢血により自宅で療養しました。
療養の甲斐なく、1990年10月31日心不全のため亡くなりました。
享年87歳でした。

幸田文さんは、女性らしいタッチで竹のことを書いています。
男性ではこのような細かいことは書けないと思います。
さすが幸田露伴の娘さんです。
観察力に優れた文章は素晴らしい。



「いのち」(原文のまま)

竹のようにすくすくと成長する、ということを言う。
まったく勇ましく伸びるのが竹である。
でもあんまり勢いがよすぎると、勇ましいのを通り越した凄さ、おっかなさを感じる。
始めは誰も竹の凄さなどを知らない。
あの姿のよさ、葉ずれの音の爽やかさなどに惚れ込んで、うっかり経験者の言うことを上の空に聞き流して、つい手狭なわが家の庭を忘れて植えてしまう。植えて二、三年は春の筍が頭をもちあげると、すっかり満足で、筍だけは値切らずだなどと悦に入る。
が、そのあとが大変だ。
その土地に定着してだんだんと勢いを増してきた竹は、やがて凄さを発揮せずにはいない。
あるお宅では、真夜中にふと「もの」の気配に御主人が目覚めた。
闇の中に家族の寝息は正常である。
しばらく窺っていると、きききと床の間の見当がきしんだ。
はっとすると音はやんでいる。
しかし、そちらからうすと冷たい風が来て、枕の上の額を撫でた。
冷たい風は間歇的に来る。
と、又、きききときしんだ。
たまりかねて起きてみたら、筍が床の間の畳を二寸も持ちあげていて、ちぇっと思ったという。
ところが、こんな話もある。
あるお宅では前年の玄関の三和土(タタキ)を破られたので、根を切ってそれでいいと思っていた。
すると今年も例年通り、たくさん親根のそばへ筍が出たので、方々へお裾分けなどして喜ばれた。
食べきれない分はすくすく伸びてそれはもう竹の子ではなく竹の若い衆、竹の青年に成長し、清々しく葉をゆすった。
今年竹の美しさだ。
旬の季節は過ぎたのである。
そこの老婦人は夜、風呂へ行って帰りは素足になって来た。帰ってきた。
玄関の畳を一ト足踏むと、なにか畳が浮いている感じがした。
気をつけるとたしかに変だ。
六畳の畳もでこぼこな感じだ。
湯上がりの素足が敏感だったのだ。
やっと筍だと、それでもまだのんきで、畳を上げてみた。
床板がお盆ぐらいな円さにずっぷり濡れていた。
見ると畳の裏もぐっしょりだ。
釘を抜くと板がひとりで持ちあがった。
頭が平べったく潰れた筍がにゅっと濡れて立っていた。得体のしれない生きものに出会った思いであった。
六畳はさらに凄かった。
床下は未来永劫のような暗さと湿りけと冷たさである。
懐中電灯を向けると、おぼろな灯のなかにその不気味なものは、五ッも六ッも、あるいはとんがり、あるいはねじくれて、「生きてるぞう」と無言でいた。
声も出せないくらいぞっとしたという。
死ぬことも恐いが、これは誰も教えてくれた人がない。
竹は、生きる命の不気味を知らせてよこす植物だ。
(了)


  • 名前: E-mail(省略可):
  • 画像:

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.